私娼の移動

明治三十年前後に至り、福富町裏(伊勢佐木町二丁目定席新富の横町を中心として)・羽衣町附近に散在した私娼の多数は、逐次殷賑を加へて来た。賑町裏の吉岡町・雲井町・足曵町附近に其巣区を延長し、民家に介在して居を構へ、麦湯と呼ぶ横浜特稀の称呼から、揚弓店の名に移り、売春行為をして居たものが、更に銘酒屋の姉さんの名に進展し、茲に他都市に存在するが如き、酒売る店に厚化粧の魔女が、軒燈影暗い暖簾の裡に出現するやうに為つた。屋内の組織や、接客方法は、常時船員を得意とした関係上、開港場気分が横溢し、近時に於けるバーとちやぶやを混成した、ー種の頽廃味を見せて居たと云ふ事である。彼等の営業の表看板は、銘酒屋と通称する以外に、新聞縱覧所・囲碁将棋集会所・しるこや・麦とろ等の小料理屋の名目に隠れ、各々其消長の過去と歴史とを繰り返しつゝ、芝居・活動写真等の歓楽境、賑町を中心とした盛り場の裏町に散在し、二十年余の長い間囚縁づけられ、此界隈の繁栄に繋がれて、明暗裡に強くも花を吹かして居たりであつた。