一度此社会裡に吸ひ込まれた淪落の女注は、自己を見出す機会を逸し、自隋落生活に爛れた果は、其帰結する所は転々して、出発点への経路を繰り返して居るのである。されば彼等の集合地は、官憲の監視も圧迫も巧みに潛り抜けて、随所に膨れ上るのであつた。従つて風教上に及ぼす害毒も、蓋し槌大のものであつた。之を根絶するには、現代社会の組織上、頗る至難の業であるが、官憲の圧迫的指導と彼等の自覚とは、大正年の中頃より、集団制に傾き、一地区内に相隣りするが如き態度となり、而がも保健と衛生とに重きを置く様になつた。大正十年に至り、貨席名義の下に、各店を参加せしめ、之を統轄し、自他の衛生施設に万全の実を挙げ、風紀の改善を図る等、相当見るべき効果を齏したのであるが、其多くは交通頻繁な道路上に面し、従つて風紀上にも多大の弊害を伴ひ勝ちであつた。