明治五年六月に惹起したマリヤ・ルーヅ船奴隷解放事件の結果同年九月、芸娼妓解放の令出で、引続き解放に依り、外国人の妾は、爾今吉原町楼主の鑑札を要せざる旨の諭達があつた。則ち外国人の妾となる事は自由になつたので、淫売常習の者は、羽翼を延して、居留地を飛躍したのである。当時は世情一変、革命の時機であつて、制度改廃の如きは、極度なる過波期に属し、混沌たる姿相の裡に、一層の活躍が演ぜられたのである。爾来県庁の布達も、官警の取締りも、幾度か操り返されたが、其効力は甚た薄弱で、彼等の手段も漸次巧妙を加ふるのみに任せた有様であつた。