取締上の手段として、誠に適当なる方法であつたので、彼我協力の結果、相当の結果はあつたが、此頃を前後して居留地内随所に勃興した二十有余軒の外国人専門の酒場内に於ては、日本淫売婦と連絡を取り可成りの秘密が行はれ、到底防止する事は困難の有様であつた。彼等淫売婦は、彼我の人種を選ばず、売淫行為を敢てして、両者共通の観をも呈した。テンヒンス・オーライなど云ふ所謂横浜言葉は、此方面の消息を語るもので、当時の全盛は巧なる術策の下に行はれて居た。そして彼我官憲の眼は光り続けて居たが、之を防止する事は、到底不可能であつた。されば外国水夫の花柳病患者は、其数も著しく増加し、山手所在の各国病院の如きは、收容患者の数、室に満ち、治療を要するもの夥しく、為に出帆帰国の折の人員は、減少を来したと云ふ事である。