捜索令状

在横浜外国人居留地日本国警察長官平野二郎并其補助官及属官ヘ

下ニ記名スル横浜駐在訂盟国領事ハ、日本国婦女ニテ、官許ヲ得ズ売淫ヲ為ス事ハ、日本国法律ノ禁ズル処ナル事ヲ了承セリ。而シテ横浜外国人居留地内ニ在ル外国飮酒店営業人ノ家屋、若クハ構内ニ於テ、日本婦女ニテ密売淫ノ罪ヲ犯ス者アリト信ズベキ理由アリ。而シテ実際此密売淫犯罪者ヲ禁止スルニ付デハ、同罪ヲ犯ス日本婦女ヲ捜索シテ、之ヲ取押ルノ権力ヲ日本国警察官ニ授クル事必要ナリ。

此故ニ三ケ月間若クハ此令状廃止ノ時マデ、昼夜トモ左ニ記載スル外国人営業ニ係ハル酒店ノ内、其何レニテモ貴官ニテ密売淫ノ犯罪者アリ、或ハ将ニ之レアラント察スルモノアル時ハ、之レニ立、入事ヲ承認ス。且又斯ク立入ラントスルニ当ツテ必要アル時ハ、門戸ヲ打破ル等、腕力ヲ用ヒテ立入リ、其上充分捜索シテ、同罪ヲ犯シ或ハ之レガ媒合幇助ヲ為シ、又将ニ之ヲ犯サントスルモノト疑察スべキ理由アル日本人ヲ取押ユル事ヲ承認ス。依テ其證トシテ、今此ノ令状ヲ交付スルモノナリ。本令状ヲ使用スベキ外国酒店営業人、竝ニ酒店、左ノ如シ。 番号 現家号 現住者 八十一番 ヲールド・ブラオン・ヂヤック ヱル・ヲ―・ワットソン

百三十六番 ヲールド・ヂョルリー・セーラー  ドミニック・チェース 百六番 カナヂヤン・イン ヂェームス・ホアレー

八拾壹番 ヲールド・ヂャマイカ・ハウス ジェールヂ・ダマス

百五拾六番 フレンド シップ・ハウス ヱー・ハッセン

同 シスコ・ハウス ビ―・ラー・・フルッド

八拾壹番 ブリチンク・イン イーブヮン・レウィス

同 イントルナショナル・ボーリング・サルン フレデリック・クルーク 百五十六番 ライジング・サン ア―ル・アンデルソン

千八百八十七年(明治二十年)二月二十日、拙者等記名ノ上官印ヲ鈴シ、交付スルモノナリ。

英国領事代理ジョン・カーレー・ホ―ル

独逸国邦耳瑞典国及伊太利国領事代コーツ

米国総領事シ―・ア―ル・グレ―トハウス

此附与された権限を以て取締りの結果は、実績上頗る有効であつた事を想像されるのであるが、対等条約未締結時代の関係に置がれてあつたので営業者との諒解上に齟齬多く、時には却つて家宅侵入の談判を受くる等、幾多の不便を生じたので、斯かる取締りも断続的に三四回を実行したに止まつたと言はれて居る。

此取締り実施以後、外国人乃至外国水兵は、自然各自の衛生と自制とに依り、公娼方面を選ぶ有様となつた。殊に日清戦後に於行る我邦の同上発展に対し、外国人の我を崇敬する事、前日の不遜なるが如くならず、君子国に対するが如き態度を持し、日本人侮蔑の感念は全く去り、婦女の奴隷観も漸く除去さるるに至つたのであるが、後節記述の如き、市中に散在開業した日本人の銘酒店(ちやぶや類似の酒店)及び外国人専門の銘酒店の名に隠れて、売淫行為はまだまだ可成り盛であつた。されば順次其数を減じて来た日露戦役前後頃を一段落として、其影を見ない次第となつた。かくて遠く開港時から明治中葉末に至るまで独自の発達と変遷とに、特種の情緒を見せて居た居留地に於ける淫売婦消長は、開港史上の一節を強くも受持つて居たのであつた。