ちやぶやは外国人専門の私娼窟を称して斯く呼んだものである。(近時は日本人をも客として居る。)横浜に於ける此存在は、啻に横浜としての名物であるばかりで無く、日本の名物として世界的に其名声を響かして、東洋の開港場情緒を濃くして居る事は言ふ迄ないが、此施設は初め国際的条約に其端を発して、爾来開港時から明治初期、明治中葉から大正へ、更に震災後の昭和時代へと推移して、其時代時代の変遷と繁栄とを繋ぎ、愈々益々殷盛を加へ行く経路を辿り、将来への因縁を結んで、特異な情景をいやが上に濃厚味を浮べ、且つ世相風俗の上に強い独尊的な権威を把握する唯一の横浜繁昌記の尖端を受持つものである。