右約書第十一項(政治編二の五四九頁を参照。)に基き、元治元年十二月から、山手方面に遊歩道開鑿の工を起し、慶應元年九月一日に竣成した。則ち遊歩道開鑿に先ち、工事地区間を神奈川奉行所預りと為し、英国陸軍技師メジョール・レー(Major Wray)の設計指揮を受け、奉行所出役宮本五郎・同定役内川庄司等監督の下に、労役夫を使用して、山手に属する元町谷戸坂より北方小港に出で、天徳寺下から本牧 の原、和田・池田・間(ま)門(かど)を経て、根岸村不動下から八幡橋に至る海岸線、更に逆行して不動瀧の上から字相沢(現在の中区山元町。)に出で、山手丘陵の頂点(現在の山手本町通り。)を谷戸坂上で合する道路、幅三間、延長二里十二町の外国人遊歩道を完成したのであ る。斯くて辺鄙の村々に存在した一条の作場道は、今や海湾の風勝と樹林の清爽とを擅にする新開道路が竣成したのであるが、更に前年の元治覚書を敷衍した慶應二年十一月二十三日に、諸設備の完成を期する為めに締結した約書の内容に依り、改良を加へたので、此遊歩道は其価値を賞讃され、盆々有効に利用され、外国人の喜悦は此上もなかつたのである。