休憩所の設置

山手遊歩新道竣成後に、幕府当路の発意に依り、各国公使の内諾を経、此沿道の民家十三軒に命じて、外人の休憩所を開店させた。是れは外国人厚遇の意味を持つた一方策の半面に、休憩所に内命して遊歩外人の挙動を監視させる為めでもあつたが、彼等の挙動は頗る無邪気で、斯の如き配慮の必要は絶無に帰し、一箇年を経過せずして、此内命は其儀に及ばざる旨となつて終つた。遊歩外人の益々多数を加ふると共に、休憩所では最初は単に休憩する場所の提供に過ぎなかつたものが逐次自家の軒先等を改造して、椅子卓子を据ゑ、飮料・果物等を備へて待つ様になり、殊にどんたく(日曜日。)の如きは、なかくの繁昌振りを見をるのであつた。爾来遊歩道の繁栄を来すに件ひ、外国人の気心も知れて来ると、単なる居酒屋式の休憩所や茶店としての存在は、富の程度高い彼等に対し、喫茶料の要求丈けでは物足らぬさを感じたのは、蓋し営業政策上自然の到著であつた。況んや監視の要なきに至つては、より多くの利益を考へるのであつた。