文久元甲子三月版、広重筆「横浜売物図絵」(大錦)に、黒色のやぎを図して「ラシヤメン」と傍記し、「此毛を俗にラシヤに成と云伝ふなり」とある。言海に拠つて見るに、「らしやめん、羅紗綿、綿羊に同じ」と解釈してあるから、正しく畜類部に入るべき動物である。かゝる文献に依つて之を推すと、らしやめんは綿羊の毛で造つた洋織物であつて、現今単に羅紗と称するものに当り、外国人は大方此羊毛織物に包まれて臥すものと断じ、乙れが軈てらしやめんなる称呼の囚を為したものと推考されるのである。即ちらしやめんなる動物の毛を以て製織したものを抱擁して暖を取る事に及ぼし、果ては之を擬人化し、日本婦人にて外国人の妾となれるものを釈して、らしやめんと呼んだものと思はれる。されば語義上、人倫部に加ふべきものをして扱ふ事も出来るのであつて、全く一種特異の名詞として人釈化されて終つたものである。
頃者説く者の曰ふに、外国人の妾となつたもの大方は彼等から貰つた羅紗布を身に著けて居る。らしやめん名義も是に胚胎すと。誠に附会には似てゐるが、之も亦一考に値するものである。而して羅紗綿と云ひ、羅紗女と字義する事は、一は畜類を脱化して織物称とし、一は人類其ものに当嵌めたものと判ぜられ、且り女のメンは英語から出た語呂と想はれる。猶洋妾・洋娘・綿羊女・綿羊娘・羅紗娘等と書いて、らしやめんと訓じてある。何れも人間称とした宛て字である。