外国人行らしやめん女郎

安政末年、横浜開港直後、駒形町仮設遊女屋の飯盛女郎に次いで、港崎遊廓の遊女が外国人に関係を持つ様になつて、岩亀楼主が是等婦人の取扱いを為し、公娼の籍に在るものゝ外は、洋人に関係する事が出来ないのは前述の如ヽである。駒形町仮設遊廓開業後、外国水夫や居留外人等は、なかヽ盛に遊興をしたと云ばれて居る。而して此頃既に外国人行の女郎が存在して居た。即ち神奈川宿出店の鈴木屋善二郎抱へ亀島・初菊の二人が、月極めで雇はれて行つた(注一)。相手方の外人名と其行先とは不明であるが、何れは神奈川在留の者であつたと想はれる。此二人は女郎として外国人行の初祖とも云ふべきものであつた。其後港崎町に移つてからは、女郎にして外国人行のものが多くなった事は、無論の事である。