文久初年と思はるゝ芳虎筆にかゝる、岩亀楼異人遊興部屋内のチョンキナ踊りを図した全裸体の板下絵二組(大錦三枚続き)が残存して居る。まことに当時の全盛振りを語る最も価値の多いものであるが、是れは筆者乃至絵草紙屋の顧慮から公行されなかつた様である。本来チョンキナ踊りは邦人の酒宴を取り持つ興趣の多い遊戯であつたものを、踊りの手振りに転化させ、外国人の観覽に供する変体的座興の景物となつたのである。此遊技に得意で、且つ何時も優勝者であつたのは、支那人であつた。されば英米人は多く自分の屋敷使用人である支那人を引きつれて登楼し、共に踊らせて居たと云はれて居る。