異人女郎屋に於けるチョンキナ踊りは、実に横浜遊里情趣を遺憾なく、発揮し、当時異国人招致の一策として数へられて居たのである。如之、貿易商人の外国人との商談には、此踊りは唯一の馳走であつて、為めに取引談判も円滑に解決し、自他の利益に資する事は多大であつた。殊に幕府の顕官は、岩亀・五十鈴に、時の領事・館員等を招き、チョンキナ踊りを利用して、問題交渉の談議を進め、策謀よろしきを得る事が多く、且つ親善振りも濃厚を加へたと言はれ、時代の渦中に斯かる外交政策も存して居た事と想像するに難くない。実に対外政略策動の伴侶として、らしやめん女郎の存在とチヨンキナ踊りの価値は大きなものであった。