町娘のらしやめん

爾来文久末年頃から、多数の町娘が異人屋敷に出入りする様になつた。此娘達は屋敷出入りの関係者である諸職商人に依つて媒介されたもので、或は遊歩途上に発見した日本娘を橋渡しを得て拉し来つたものもある。此場合、娘は仕度金を貰ひ、仲介人も多額の弗を懐ろにしたのであつた。かくて彼女達は一旦遊女籍と為し、岩亀楼に規定の歩合金を月々納入するのは無論の事であつた。此女達は単にらしやめんと呼ばれて、異常の発達を来たし、衆人嘲罵の的ともなり、理性乏しい女達からは羨望の眼を向けられつゝも、強く自己を意識し、豪奢華麗の生活振りを誇るのであつた。文久二年版の「横浜ばなし」の巻末に、当時のらしやめん即ち娘さんの名が、左の如く商館別に載せてある。

異国重役人之部(原本記載に依る)

阿蘭陀役人

役名 コンシュル

名 ボスボクス

ラシヤメン てう

英吉利役人

役名 コンシュル

名 ケビテン・ワイス

ラシヤメン たか

ホルトガル

役人 役名 コンシュル

ラシヤメン えつ

外国人士官商人館番附竝名前

一番 英 ガパール

娘 つる

五番

亜 ポルトガル・クラク

娘 たつ

六番

亜 ハッパ

娘 いね

七番

英 シトロン

娘 てつ

二十一番

英士官 ガーハル

娘 むな

二十五番 蘭 ブラーン

娘 おと

二十八番

英 ベーロ

娘 むな

三十番 仏 レイテルマン、コンスタンス

娘 たま えつ

三十一番

仏役人 ミニストル

娘ふく

三十七番 マキモニー

娘 八重

四十一番

蘭 バタクイ 

娘 関野

四十二番

英 ヨン

娘まを

四十三番

蘭 ライス

娘てう

四十四番

蘭 スネル

娘 ゑま

五十番

英 トツテル

娘きく

五十二番

英 デイセム

娘ゆう

六十番

仏 ブレッキマン

娘もと

六十一番

英 ライス

娘てう

六十八番

英 コンシュル

娘たか

七十番

蘭 ガブタイメン

異人旅籠屋娘きん

八十一番

英 クラヲ

娘げん

八十一番

英 アブヒレン、モンゴメリン

娘むま とし

八十一番

異人パンやき フランキョ 

娘なか

八十七番 英 ユーステン

娘かね

駒形町中横町

英 ワルス

娘 つな

同 所

英船大工コック

娘いし

本書の摘記に拠れば、右の二十九名の少数であるが、当時娘さん名前の不明であつた為め、記入し得なかつたもの半数以上あつて事実は各館殆ど娘さんが抱へられて居たのに相違ないと想はれる。書中には領事館主・各商館主の名を列記し、主人の次位に娘・小使・別当の順位となり、娘さんを上位に据ゑてあるなどたゞに編者の好奇心に対する独創とばかりではなく、多分の尊敬を払つて居る事は、異国人に繋がる娘さんであり、且つ又、外交上に関するらしやめん奨励的態度にあるかの如き、当局の意図を迎合しての一面とも想はれる。殊にコンシュルに対しては、らしやめんと云ひ、士官・商館主に対しては娘と記する如き、らしやめんは寵愛至上の純然たる妾であり、娘は下婢と云ふ意味のものと判ぜられる。即ち領事・公使は高位の顕官であり、商館主の如きは町人と見なして娘を配したものであらう。かくて開港場横浜に於けるらしやめん乃至娘の評判はいやが上にも高らかであつたのである。