ハリスは伊豆下田に来港し柳崎玉泉寺に星条旗を竿頭高く掲げて、我邦に於ける最初の領事館事務を開始したのは、安政三年七月である。その駐箚中ハリスと通訳ヒユースケンの両名は、日本の婦女を侍妾とした。即ちハリスにはお吉、ヒュースケンにはお福が抱へられた。お吉は土地の芸者、お福は経師職の娘であつた。最初は頻ろに拒避したのであつたが、奉行所が其権威を以て騙し賺して侍妾としたと言はれて居る。特にお吉の如きは、ハリスの希望に添ふべく、一面には彼の強論緩和の犧性となつたもので、必竟は奉行がお吉の侠気な性格を逆用し、現下の外交問題を以て説き、彼女を納得せしめたものであつた。これがらしやめん外交の先駆を為したものであると考へられるのあるが、かゝる真剣味の含まれた外交策に端を発し、安政六年横浜開港以後は、外国人懐柔手段の意味に於て、らしやめん女郎を設け、次いで江戸のらしやめんとなり、更に横浜のらしやめん全盛を招来したのであつた。