南京らしやめんの心意気

洋人のらしやめんであつたものが、南京らしやめんになつたものはあつても、南京らしやめんは洋人のものにはならかつた。洋人もかゝるものは好まなかつたと同時に、抱へ入れもせず、南京らしやめん自身も雇はれて行く僥倖も考へず、且又、絶望でもあつたのである。洋人が見る支那人は、東洋の苦力的賎民であり、不潔国民として目視し、従つて之に関係したらしやめんは希望もしなかつた結果とも思はれる。翻つて一度洋人らしやめんを稼いだ南京らしやめんは、由来洋人は婦人を尊敬する文明国民なるに反し、馴るゝに従ひ其主我的なる事驚くべきものにして、権利をも尊重せず、頗る表面的である愛著に反し、支那人は相手方を尊敬し、情想の上にも物質的にも恵まれる事が多く其親し味の豊かさを告自して居ると云ふ事である。是れは畢竟気随気儘の自我慾に出発した彼女等の放逸とも観察されるのであるが、此間に於ける両者の消息と其全能振りにも、彼等の生活の表裏を窺知する事が出来る。かくてらしやめん世界の光明は無量にして、而も悠久なるものがあつたのである。