らしやめんと混血児

外国人と其妾であるらしやめんとの間に出生した混血児、即ち合の子の取扱に関しては、横浜は長崎に準じた手練を踏んで居た。此取扱上に関する経緯一切に就いては、我々は特に横浜に起つた事件の史料を持たないから、長崎市史掲載記事を引例して、横浜も亦斯くあつた相違ないと云ふことの証にしたい。

らしやめん女郎鑑札(林若吉氏所蔵)
宝槌楼秀菊が商館一夜行の鑑札である。竪二寸、横一寸五分

〔註一〕

妻妾ニ非ザル婦女ニシテ分娩スル児子ハ、一切私生子ヲ以テ論ジ、其婦女ノ引受タルベキ事。

但、男子ヨリ已レノ子卜見留メ候上ハ、婦女住所ノ戸長ニ請テ兔許ヲ得候者、其子其男子ヲ父トスルヲ可レ得事。

明治六年一月十八日

太政官