横浜遊廓の変遷

横浜遊廓の設置場所は、他の地方に比して幾度か其位置を換へたのは、開港以後の目覚しい発展に連れたのと同時に、都市構成上に件ふ火災の厄に由つて余儀なくされた所であつた。而して位置の変遷に依つて、街区の膨張を促し、地理的関係に従つて附近住民の経済上にも及ぼした事は勿論である。即ち遊廓の移転に由つて、土地の膨脹を来たし、繁栄を招いて今日に至つたのである。惟ふに、土地生成の盛衰は古往今来の数に於て、全く其多くが花街を中心として繁華を招来したものをするとき、横浜のそれは、開港以後、先づ遊廓設置に依り、変易場開放の殷盛と相俟ち、舶来文化の華と融合し、茲に横浜が建設され、爾来駸々たる進展に恵まれたと云ふべきである。