廓の焼失

明治四年十一月(日不明。)午前、廓内の西方神風楼裏長屋の局見世から失火し、風は緩漫ではあつたが、急造普請であつた為め、火足早く、遂に比翼町、和花町に亙つて廓の年分を焼燼して終つた。此火災に際し、火元及び附近局見世の人人は、遁るゝに暇無く焼死したものや、堀中に難を避げて其儘溺死したものもあつた。又表口を火に奪はれた為め、裏口から遁げ出した娼妓十数名は、附近に繋いであつた小舟に乗つた所、後れて来る一人を待つ間に、堀端の二階家が焼け倒れ、其下になつて焼死したなど、慘鼻の状を呈し、犠牲者三十余名を出したと語り残されて居る。