反町廓は、方三町余の一区画内に、キ字形や道路を通じて構築され、明治三十四年中に、七軒町・宮洲町から移転を終り、貸座敷は新装を凝らし、更生への道を辿り、軒数は当初二十軒内外で、新規開業者二・三を除く外、皆埋地から引続いての営業者であつたが、四十一年末には十七軒を数ヘ、娼妓数は百六十三人であつた。爾来軒数は増加を見ず、大震災の際は火災の難を免かれ、かくて昭和五年末には、十六軒となり、現在は十四軒となつて居る。