岩間遊廓

明治五年の解放令以後、宿内に散在して居た飯売旅籠屋は、漸次衰徽を来たし、廃業者相次ぎ、殊に両度に亙る営業区域の廃合と、明治二十年七月、東海道線横浜・国府津間の開通以後は、甚しく寂寞となり、岩間の地に数軒の妓楼が集結する様になつて、新開地気分の漂ひに、一時は溌剌の兆を見せたが、爾後一進一退格別の消長もなく推移して来た。大正大震災の際は、火災の難を遁れ、以来旧態を見せて、現在は第一第二万金楼・東家、松芳楼・大松楼・松美楼・塩田楼の七軒があり、娼妓数は四十八名である。