高島町の岩亀楼

翌年吉原町に引移つた岩亀楼は、急造普請で間に合はして居たが、明治五年、高島町に移転する事になつて、十月中、同町一丁目富士見橋際海岸側に建築の工を起し、翌年初夏の頃、和洋折衷の様式を巧みに取入れて、時計台を屋上高く載せた三層楼の新宅(平家建四十五坪、二階建百六十坪、三階建百五坪、総計地坪三百十坪、外に二十坪の土蔵)に引移り、海沿ひの高楼も誇らかに、更に新味を帯びた営業を継続して居たが、存続九年で十四年四月末、長者町の仮宅に引移つた。而して跡家屋は往年両三回の暴風雨に遇つて大修繕を加へたものであつたので、利用の途も無く取毀して終つた。