真金町と神奈川の神風楼

高島町から他楼の移転に後れて最後に、明治十七年の春、真金町の新館に引移つた神風楼は、同時に神奈川七軒町埋立地碧海橋際(現在神奈川区栄町一丁目)白峯造船所の跡地に、高島町の建物を移し、真金町を日本人、神奈川を外国人専門とした。神奈川の建物は、高島町時代の三層楼の一方を除き、殆ど全部を移築し、更に高楼頂点の甍高く、燦然たる金色の鯱鉾を輝かし、構内には楼樹の垣を周らし、自家用の発電所を備へ、煌々たる電光燭は港内碇泊の艦船に乗込む人々の魂を刺戟した事であつた。かくて明治三十三年、反町に遊廓地を指定さるゝに及で廃業し、真金町の方を外国人専門の楼とした。