神風楼は外人間で別名をネキタリン・ナンバ・ナインと呼ばれて居た。波止場のガイドであり、最も雄弁なる通訳であるリキシャマン(約言してキリショ、即ち人力車夫。)は、ネキタリン又はナンバ・ナインと云へば、彼等は其行先を心得たものであつた。ナンバ・ナインとし云へば、市民の誰れもが知つて居る名所であつた。此別名の起因に就いては、楼主も不明の儘に過して来たと云ふ事で、全く其考を得ないが、高島町営業期の頃、一米人が遊興の折、Noctarine No.9と書いて呉れたのを訳も無く其儘入口の額として掲げた事に起因する。其後神奈川で異人専門楼を開業した折は、海に面する裏二階の軒上高く、金色でNo.9の大文字を掲げ、三層楼の棟瓦高く、光色燦然たる鯱鉾と共に、海波に映じて居た。神奈川を閉ぢて後の真金町にも、No.9の金色煌々たる大文字を二階正面の軒上に描げ、又玄関口の欄間にもNectarine No. 9の文字を掲げてあつた。案ずるにNectarineは其意訳である「甘美なる」の賛辞と、米人が自国の歓楽境に在る所の家の番号No.9を思慕のあまり、直ちに之を移して結付け、「甘美なる九番の家」よと、当意即妙の麗辞を以て神風楼に当嵌めたものではあるまいかと推考されるのである。とまれ、かゝる美辞麗句の寸言を以て神風楼を謳歌して居るのは、まことに横浜情緒をして更に〃濃厚味を加へる所の、あまりも明瞭な存在であった。