外国人に搖ずるを厭ひ、国風一首を詠じて悲壮な自害を遂げたと伝へられて居る所の港崎町岩亀楼遊女喜遊に就いては、諸種の文献と説話とを対照して見ると、それぞれ異つて居り、その存否を言ふもの疑問を称ふるものがあつて、直ちに之を断ずる事は出来ないが、従来世上に喧伝されて居る様に艶麗傾国の美貌と芳烈純情の節操との所有者であつた喜遊が、幕末期に於ける日本開国史上の大舞台を背景とした劇的の場面は、横浜の開港物語に取つて、寔に見逃ず事の出来ない事件である。依つて今左に記録文献を辿り、之を総合して喜遊の事歴を伝ふる資としたい。先づ喜遊に関する文献其他を挙げて見よう。