大正十三年十一月 大東義人輔楫
神奈川奉行相模守大学
幕府奥右筆神奈川奉行早川能登守 江戸町奉行根岸肥前守
右の三人の記録(原写本)に拠つて、喜遊の輪廓を描き、幕末の志士を活動させ、史実を小説体に記述し、喜遊の実在を語つて居る。本書には喜遊の父を箕作周庵と言ひ、喜遊は初めから岩槻屋の抱へで、本名は喜佐、横浜では亀勇と称し、後に喜遊となつたとしてある。又外国人の名をアポッ卜とし、文久三年十月十日、彼女は自害したとある。