神奈川奉行松平岩見守康直
万延秘聞
代官 小林藤之助 名主 石井源左衛門
右の記録に拠つて、中里機庵は喜遊の存在を記して居る。即ち喜遊は旗本の生れ、実名は間宮春枝、万延元年四月、岩亀楼へ来て、其年の七月十七日に自殺した、官憲の命で憤死の事清を秘し、遺骸を久良岐郡吉田新田の常清寺に埋め、喜遊の名を憚つて知恵とした。云々。