貞操節義

古今名婦百首 明治十四年十二月 児玉永成編楫

外国人吾朝に渡来せしより、横浜の港、日を追て開け、岩亀楼の同港に開店せしは、貸座敷の始めといふべし。其頃喜遊は江戸吉原甲子楼より住替して、岩亀楼第一等の全盛なりしが、居留地在住の米人イルミスン氏に懸想され、大金を以て身受せんと挑み、楼主に迫る。時に売女の束縛を解かれざれば、止む事を得ず楼主の命に従つて承諾し、其夜ひそかに刃に伏して死せり。露をだにの歌は、遺書の末にかきつけたるものなりしとぞ。(歌詞前記。)