史家研究説

宇都宮藩の儒者大橋訥庵の偽作である。勤王攘夷の急進派であつた彼は、文久元年十一月、老中安藤対馬守襲撃の議に与かつた罪科に依り、二年一月十二日、幕府の手に捕へられたが、七月十二日に獄死した。当時彼は時事に憤慨の余り、横浜を背景としての遊女の憤死を仮作し、国風を戯作して以て、大に士気を煽つたのであると云ふ説。