神奈川は明治十年前後の頃から、七軒町・宮洲町(現在、神奈川区栄町一・二・三丁目)に集団して居るもので、其消長・経過は、関内・関外各芸妓と略々同一のものであるが、其数に至つては遥かに之を凌駕するものがあり、従つて其繁昌振りも推知され、横浜の本地を離れて別種の気分を漂はして居る。
前掲の二案内書に拠つて、震災前後の状況を見れば、左の如くである。