佐野茂

文久二年、菊月梓行の横浜ばなしに,「太田町三丁目に佐野屋と云ふ料理仕出 し金ぷら茶漬あり。」と記述してある。佐野屋は文久元年に開店した横浜最初の会席料理店で、佐野茂と呼ばれて居た。主人茂左衛門は江戸前の庖丁に味を見せ、風流の道も解して居た。されば当路の役人衆や交易商人の客足繁く、さては此家の二階から見る、開け行く力強い横浜の気運を前に、遥かに富士の霊峯を眺むる景色を愛でて、歌俳狂歌師など風流雅人の贔屓も多く、繁栄を見せて居た事であつた。当時要路の人であり、風雅人であつた田辺太一は、佐雪亭と命名したと云ふ事である。