塵芥掃除受負人

横浜沿革誌に

慶応二年十一月、太田町三丁目佐野屋茂左衛門へ横浜市中塵芥掃除受負人ヲ命ズ。代人理七ナルモノ茂左衛門ニ代リ、受負人トナル。之ヲ市街清潔施行ノ嚆矢トス。

とあつて、洵に対象の妙、奇異の感はあるが、当時既に後は町方の利け者の一人であつたものと想はれる。明治になつて、改築増設等を加へて、横浜割烹店の第一者として、建物の雅致、構造の風流は、料理の風味と共に、其名声も高く、明治二十年頃、主人歿後も営業を継続して居たが、三十五年頃廃業した。其後旅館伊東屋と為り、震災後、其跡地は関東病院となつて居る。