引っぱり

斯の如く推移し来つた私娼全盛期に当つて、其半面には営業所も住居も有しない引つぱり(淫売婦の異名横浜方言)と呼び、夜鷹と称し、自首と名づくる売春帰は、明治十五年頃がら二十五年頃に亙つて、開港場横浜の一切の事象が、日進月歩の繁栄振りに促されたのと歩調を一にして、がゝる不自然な業態に対し、極めて時代的産物である女の稼業として、随所の辻々・橋袂の闇きに屯して、道行く男を呼び掛けるのであつた。そして茣蓙一枚を抱へて、夜陰に白粉の香を漂はせ、獣的行動を敢てするのであつた。かゝる行跡は、開港時から維新へ、更に明治に入つても、可成り隠密に行動されて居たのであつたが、此時あたりを最も全盛の時代として、以後今日に至る迄、其消長は自然の経過に置かれつゝ、社会の裏面に、彼女等は自己の生活権を続けて居るのであつた。