其後明治十八年十ー月、横浜在往の飯島其、其筋の許可を受け、埋地と通称する翁町(中区)に外国人を相手とする西洋酒コップ売営業を開始した。即ち外人専門の飲酒店で、之を外国人銘酒店(ちやぶやとも云ふ)と呼び、現今のバーの組織に似たものであつた。此銘酒店出願に際しては、当局に於ても過去の事態に鑑み、相当考慮を払つたが、結局許可を与ふる事となつた。